大切な「日常」

休校中、何日何ヶ月もの間、家族以外の人間と会話(電話や直接会う等)全然してなくて、14日に久々に友達と通話、その後別の友達と散歩兼買い物に行って、15日に祖母の家で勉強会。

すると14日くらいから17日くらいまですごく調子が良くて、人と話すことは自分にとって凄く大切なことなんだな、と思った。

そして緊急事態宣言が解除されたことによって20日から分散登校が始まることが決まり、流石にしんどさが限界値まできかけていた私としてはすごくありがたい決定。

リモートのオンライン授業やオリエンテーションはやっぱり聞き取りにくかったり、映像が乱れたりしてやりずらいところがあった。

だからといって通信が良くなったとしても、対面で話すからこそわかる雰囲気だったり表情は伝わらないわけで、「人と会うこと」「会って、目を見て話すこと」の大切さがわかった。

あと数日で分散登校が始まり、来月頃からきっともとの生活に戻るだろう。いや、そうであって欲しい。

学校、授業、部活という日常であり大切な毎日。それを2ヶ月も削り私のメンタルも削った新型コロナウイルスは許せないけれど、改めて日常の大切さを教えられた気がした。

また体調を崩すこともあるかもしれない、それでも今年はゆるっとマイペースに頑張りたいと思っている。

緊急事態宣言から

休校になって2ヶ月、感染拡大は収まることを知らず今も着々と人間の体を蝕み続けている。休校になって1番困ったことは専業主婦の母親とずっと2人でいなければならないことで、毎日の日常を送るだけでも互いにストレスが溜まるのにずっと家にいるとなるとなかなかしんどいものがある。

3月から4月上旬にかけて(通常で言う春休み期間)はまだそんなにコロナが浸透していなかったし、友達と約束したりもしていたから正直遊びに行ったりしていたし、周りも出かけている子が多かった。

しかし著名人が亡くなったり休校が1ヶ月延長したりしたことによってほとんど外出が出来なくなった。私も外に出るのはお散歩か買い物で、あとはずっと自宅と車で20分程度の場所に住む祖母の家を行き来していた。

しかも自分の家のアパートの改装工事が4月中旬から始まって(通常なら新学期、元々予定されていたと思われる)外界からシャットダウンされているような閉塞感を覚えた。

父親は家電配送系の仕事で、今日もコロナウイルスを持っているかもしれない誰かの家に配達に行くのだ。

コロナウイルスが少しでも収まらない限り休校が解けることはないと思う、でもそろそろ本気でしんどくなりつつある。体調が優れない時(自分でも気付かない)やなんだか気だるい時に「○○して」と言われてもそうすぐには動けずに、長い時は数時間経っていることが数多くある。

人と(家族と)合わせられない自己嫌悪と理解して貰えないことに対する苛立ち。そんなものが相まって体調をよく崩す。

それから何よりも不安なのがこれからのことだ。これ以上、更に1ヶ月休校が延びてしまったら、10ヶ月に2ヶ月分のカリキュラムを詰め込んで終わらせるの?9月に始業式だとしたら9月までの長い時間どう過ごしていけばいいの?

どっちにしても不安定になることは確実で、正直次進級出来るかは不安。手帳の5月の11日以降の予定が、全く書かれてないことがすごく怖くて、先が見えない不安が大きい。

とりあえず7日に来る方針に従うしかないけど、そろそろメンタルがきついとこはある、病院は月イチであってるものの親も一緒だし時間も区切られてるから話しにくい

今はこの自粛期間を乗り切るしかないけど、傷は増えるだろうし学校が始まったとてすぐに行けるかは不安で。本当にどうなるだろう、ほんとに、本当に怖い